頭の上の蠅

文章を書くのは難しいです。

就職と才能の話

 こんにちは。

 なんと2ヶ月ぶりの更新です。

 この2ヶ月の間に、私は故郷岩手県と現在住んでいる東京都を行き来して就職活動に励んでおりました。

 無事二つの自治体から内定をいただき、現在実家にてどちらにすべきか悩んでいるところであります。


 さて、そうこうしている間に私の友人(以下Y)は留年が決まってしまいました。

 Yは面接の日を間違えて二日前に東京に訪れ、葛西臨海公園で雨の中ヤケ酒をして以降就活を諦めた異端児です。

 留年が決まってからというものの、実家で小説を書き、公募に申し込んでいたようです。


 Yとは高校からの付き合いです。

 繊細で気持ちの浮き沈みが激しく、勉強もあまり得意とはいえません。

 しかし文才は目覚ましく、全国大会でも成績を上げていました。


 私はというと高校の頃から特に目立つ才能はなく、真面目が取り柄のガリ勉でした。

 正反対の我々ですが、相性が良いのか6年以上仲良くやっています。


 先日Yと電話をした際、「これから3月まで小説を書いて、ダメだったら諦めて就職しようと思う」と告げられました。

 その言葉にかなりの衝撃を受けると共に、彼女は小説家になるものだと、自分が思いこんでいたと気付きました。


 自分に才能があるから、それを捨てるのはもったいないと思っていた。

 でもそう思っている間にどんどん追いていかれる。

 そろそろ蹴りをつけないと。


 そういった話をしていた気がします。


 彼女のいうことはごもっともで、私に止める権利はありません。

 おそらく彼女が留年したのも、就活にやる気が湧かなかったのも、もう少し自分の才能を試す期間を伸ばしたかったからでしょう。

 これ以上外から引っ張るわけにはいきません。


 それでも私は「3月までに芽が出るといいね。私はYに小説家になって欲しいと思ってるよ」と言ってしまいました。

 Yは笑いながら「最高の友人だな」と言ってくれましたが、これは才能のない人間のエゴだと自覚しています。


 先程高校時代の文芸部誌に載ったYの小説を読んでいました。

 ただ書き続けて欲しいという気持ちだけが沸々と湧いてきました。


 凡人は、才能ある人間により大きな成果をあげて欲しいと願い、賞賛したり励ましたりします。

 才能ある人間はその期待に応えようと他のものを投げ売ってでも才能を磨こうとします。

 その過程で生じる不安や悩みは凡人には見えません。

 諦めるのは簡単とはよく言ったもので、才能がないと諦めるのが早い人間ほどお気楽な人生を謳歌できたりします。


 それに気づいてなお、私はSが小説家として大成する日を夢見ずにはいられないのです。

 私の言うことなど無視して欲しいと思いながら、つい夢や理想を押し付けてしまうのは、凡人のエゴです。


 世の中の才能をお持ちの皆様、どうかご自分の人生だけは大切になさってください。

「美の浪費」の話

 こんにちは。

 ここ最近も試験で忙しく、またしても久しぶりの更新になってしまいました。

 今週は立て続けに二回論文試験があり、ちょうど一週間後にも論文試験を受ける予定です。

 文章を書くのは嫌いではないのですが、将来を決めることとなると書く手が重くなってしまいます。

 今日は気軽に、ただ思ったことを羅列しようと思います。


 試験勉強をしているとたまに面白い文章に出くわします。

 その一つを紹介します。


 19世紀に博物学者が、未開地でゴクラクチョウという美しい蝶に出会ったときの話です。

 彼はこの美しい蝶が長年誰の目にも触れず、誰にもその美を認められることなく、鬱蒼とした森の中で生涯を終えるのは「理不尽な美の浪費である」と憂鬱な気持ちになります。

 

 「美の浪費」という言葉には、人間の美に対する価値観が多分に含まれています。

 すなわち、美しいものはただそこにあるだけで美しいわけではなく、それを美しいと評価するものがあって初めて美しいのである、ということです。

 

 近年、「自己顕示欲」という言葉をよく耳にするようになりました。

 他者に認められることでしか自己を認めることができない人が、他者に認められようと自己をアピールすることを揶揄する言葉であると私は感じています。

 SNSの普及によりその傾向は強まっている印象を受けるものの、他者からの評価によって初めて価値がつくという考え方は、社会的動物である人間としてはごく自然なのかもしれません。

 言い換えると、自分の優れた部分を「浪費」することを恐れることは、至極自然なことだということです。

 「個性を生かそう」とか「自分らしくあろう」という流行りの謳い文句も、個性や自分らしさを「浪費」するな、という意思の現れではないでしょうか。


 しかし、周りから評価されない美もあるのが現実です。

 個性が評価されないから、自分にはなんの取り柄もないと塞ぎ込んだり、過度に落ち込んでしまう方もいます。


 ゴクラクチョウは鬱蒼とした森の中で、他の生物たちから美しいと思われているわけではないでしょう。ゴクラクチョウも自らの美しさを自覚することはありません。

 しかし、人間は自分の美を自覚することができます。


 真に美しい人というのは、大勢の人に美を認められる人ではなく、自らの美を認め、磨いていける人なのではないかと私は思います。


 簡単なことではありませんが、他者依存から脱却するためには、真に美しくあることが求められるのではないでしょうか。

試験と都知事選の話

 こんにちは。お久しぶりです。

 先週末一つ目の就職試験を終え、燃え尽き中でございます。

 今週末も来週末も試験があるのに、燃え尽きている場合ではないのですが、ついつい燃え尽きてしまいます。全力の証拠です。


 試験日の朝は猛烈な雨に見舞われ、最寄駅から会場までの徒歩15分ほどの道で靴がタプタプになりました。

 受験生の皆さん、雨の日は替えの靴下とタオルを忘れずにご用意くださいね。早めの到着も大切です。

 前日に友人を泊めており、姉が作ったおかずを友人がお弁当に詰めてくれました。つくづく恵まれた環境だと思います。

 試験はつつがなく終わったかなという感じです。

 まだ結果は出ていませんが、落ち着いて待とうと思います。


 さて、本日は久々の快晴に恵まれ、期日前投票に行ってまいりました。

 今年の選挙は攻めた方が多いという印象ですね。(コスプレとか元暴走族とかコロナは風邪とか)

 賛否両論ありますが、攻めた方々の働きかけで選挙に少しでも興味を持った無関心層は多かったのではないでしょうか。

 誰が当選するかはまた別の問題として、今年の投票率は上がるといいですね。そうすれば彼等の努力も報われるというものです。


 余談ですが、選挙カーに手を振る子供に対して「お父さんお母さんによろしくね!」というお決まりの返しありますよね。

 あれで本当にお父さんお母さんによろしく伝えてくれるほど奇特な子供っているんでしょうか。

 幼少期の私は「お父さんお母さんじゃなくて私を見てよ!」という気持ちになったものです。もちろん家に着く頃にはすっかり忘れて、お父さんお母さんには伝えませんでした。

 伝えることがあってもせいぜい「選挙の人に手を振った!」程度だったと思います。子供にとってはどの候補者もみんな「選挙の人」です。

 それでもわずかな可能性にかけて父母へのアプローチを子供に託す「選挙の人」、がんばれ!

AIの話

 こんにちは。

 更新が途絶えてしまいました。ちなみにジョギングも最近していません。

 継続とは難しいものですね。

 どちらも趣味の範疇なので、自分のペースでのんびりやっていこうと思います。


 さて、今日はAIのお話をします。


 ストックフォトサイト「イメージナビ」で実在しないモデルの写真を提供し始めたそうです。

 モデルの親はAI、人工知能です。

 現実に存在しないモデルですから、契約期間もありませんし、年も取りません。もちろんスキャンダルも起こしません。

 全くリスクのない最高のモデルです。


 しかし、少し前まではAIがこんなにも精度を上げるとは考えてもみませんでした。

 Google翻訳で支離滅裂な翻訳をしてみたり、トイプードルと唐揚げを見間違えてみたり、人間にとってAIはちょっとアホなやつだったように思えます。

 しかし、AIはディープラーニングで膨大なデータから学習を繰り返しました。奴は内容を理解していないので要領はすこぶる悪いですが、一度覚えたことは忘れません。

 その結果、PONANZAはプロの棋士に二連続で勝ち、東ロボくんは東大には届かなかったものの、中堅私大受験生並みの点数を叩き出しました。

 小馬鹿にしていたアホな奴が要領が悪いながらもひたすら勉強を重ね、我々を追い越そうとしています。なんだか漫画の主人公のようですね。もっともAIは馬鹿にされて悔しくなんかなかったでしょうけど。


 私の好きな星新一ショートショートに「はい」という話があります。

 全人類がイヤリングを装着し、イヤリングから出される指示に従って生きる世界の話。

 イヤリングは決して間違った判断をしません。

 全くリスクのない理想的な社会がそこにあるというわけです。


 AIは単純な作業で失敗するリスクがありません。スキャンダルもストライキも起こしません。年も取りません。どんなに辛く当たっても精神を病みません。

 理想的な労働者ですね。

 周りで働く人の気が滅入りそうですが、周りで働くのもAIであれば問題ありません。


 そんな理想の社会が実現したとき、人間には何ができるのでしょうか。

 今のうちに働きもせず、歌ったり踊ったりして呑気に暮らす練習でもしておきたいものです。

テレワークについて

 こんにちは。

 今日近所をぶらぶらと散歩していたところ、神社でマスクをしたお稲荷様と出会いました。

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 神様でもコロナは怖いのか、神様として人間のお手本になろうとしているのか。

 どちらにしろ可愛らしいですね。


 さて、先日NHKの番組、くらし⭐︎解説で「定着するか?テレワーク」という内容を放送しておりましたので、そのお話をしたいと思います。


 NHKの調査によると、労働者の6割強が「今後もテレワークをしたい」と答えているそうです。

 ①通勤時間がなくなる

 ②家族と向き合う時間が増える

 ③場所のコストがかからない

 ④インターネットを通じて新たな顧客を獲得するチャンスを得る

といったメリットのためと考えられます。


 一方で、

 ①仕事の効率が下がったと答える人が65%に上る

 ②一人暮らしで孤独を感じる

 ③家庭内での出費が増える

 ④新人指導や評価が難しい

といったデメリットも挙げられます。


 上に挙げたのは企業側、働く側のメリット、デメリットですが、テレワークの普及は社会的に大きなメリットがあります。


 それが地方分散型社会の実現です。


 実はコロナ禍を経て、20代の地方転職希望者が増えているのです。今年2月には21.8%でしたが、4月には36.1%に上っていました。

 そんな若者たちの4割近くが地方に抱く不安が、テレワークの環境です。

 こうした若者たちを呼び込むために、北海道北見市のように、サテライトオフィスの環境を整備する地方自治体もあります。

 サテライトオフィスとは、都心の本社から離れた場所に位置するオフィスです。

 サテライトオフィスの整備によって、都心に流出しがちな優秀な人材を確保することができます。

 実際にマイナビの調査によると、地元へのUターンを希望しない理由として最も多いのが「志望する企業がない」です。


 コロナを機に全国各地でサテライトオフィスが整備され、我々が自由に住む場所が選べる日が来るといいですね。

久々の外食

 こんばんは。

 外出自粛で体が鈍らないように、先月くらいからほぼ毎日2kmジョギングを続けています。

 一月も続けられるとは私にしてはなかなかの好成績です。

 実はブログも今まで何度か開設してはだいたい1週間坊主で辞めてしまいました。日記や家計簿も同様。

 このブログも一月続いたら万々歳でございます。


 さて、今日は高校時代の友人(京都在住)が東京に来るというので、久方ぶりの外食をしてまいりました。

 彼女とはよく電話もするのですが、やはり顔を合わせて話すと違いますね。非常に良いリフレッシュになりました。

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 磯丸水産にて

 お腹が減っていたので写真を撮る前に少し食べてしまいました。


 彼女は就活のために、リクルートスーツに身を包んでいました。

 しかし、彼女にはやりたいことがあり、その才能もあり、社会性がない(本人談)。

 正規社員として就職するより、フリーターになって、働きながらやりたいことに没頭したいそうです。

 そしてそのことを両親に伝えたところ必死の形相で説き伏せられたとのこと。どうやら彼女の両親は彼女によくある真っ当な人生を歩んで欲しかったようです。


 それにしても、親の反対を押し切って、自分の人生を捧げてまでやりたいことがあるとは、凡人の私にはなかなかない感覚です。

 しかし、世に名を馳せる人物というのは概してそうした情熱を持っているものです。その中でも頭角を表すのはほんの一握り。

 そう考えると夢を追う人生というのはなかなかハードモードです。現代社会は多様な生き方を認めてはいるものの、挑戦することのリスクが高いことは否めません。

 だからこそ英雄の生き様は人々に勇気を与え、称賛されるのでしょう。

 彼女と話していて、そんなことを考えました。


 ついでに面接の話も聞きました。

 面接のコツは、面接官を好きな人だと思って話すことだそうです。

 そうすることで、緊張も適度に溶け、自分のことを伝えたいという気持ちが強くなる。

 なかなか目から鱗なアイデアでした。

 

コロナと食について

 こんにちは。

 今回の記事、はてなブログの仕様なのかなんなのか、文字のサイズがバラバラになってしまいました。ご容赦くださいませ。

 インスタグラムのストーリーにフォトジェニックな写真の一つや二つでも載せてやろうと思いフォトライブラリを覗いたところ、ゲームのスクリーンショットばかりで我ながら呆れ返っております。

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 取り急ぎフォトジェニックな写真を撮ろうとしてみましたが、結局ストーリーの更新は断念しました。


 さて、昨日の記事でコロナ禍での食の変化について少し触れましたが、今日はそのお話をします。

 コロナの影響で飲食店や学校からの仕入れが激減し、販売機会も減って、大量の農水産物が廃棄されるという事態が起こっています。


 これに対応する形で農水産物のオンライン直売が流行しています。

 農水産物のオンライン直売は、接触機会を減らすだけでなく、生産者から直接購入することで生産者支援にもなり、しかも産地直送だから新鮮な野菜が食べられる、という一石三鳥のアイデアです。


 なんとも先進的な取り組み。

 逆になんで今までこうしてこなかったの?とすら思えます。

 しかし農業従事者の平均年齢は2016年時点で66.8歳(農林水産省農業構造動態調査より)。

 デジタル化自体よくわからなくて手をつけるのが億劫という方も多いのではないでしょうか。


 近年B to C(Business to Custmer)から C to C(Custmer to Custmer)への移行や、IoT(Internet of Thing)を進めようという機運が高まっていましたが、コロナの影響でより急速に普及しているように感じます。

 普及せざるを得なくなったと言った方が正しいかもしれません。

 今までは情報漏洩問題やら、デジタルディバイド問題やらでなんとなく先送りにされていましたが、コロナによってそう悠長なことを言っていられない事態に直面しました。


 もちろんデジタル化が進んだのは食だけではありません。

 テレワークやリモート授業、育児相談もインターネットで行われるようになりました。

 あらゆるものがインターネットに繋がる世の中はすぐそこです。


 所謂情報弱者デジタルディバイドの敗者になることがないように、こうした流れは広く報じていくべきだと考えます。